追悼式 (勤儉誠信創新)

2月2日の11時50分、取引先である台湾の禎祥食品工業股份有限公司より張夢蛟会長の追悼式のお知らせが届きました。

2月6日午前10時より高雄市の佛光山南屏別院にて厳かに式は行われました。

小生は参列し、ホテルの福華大飯店に戻り、このコラムを書いております。

生前の張会長のお人柄のごとく、真面目な華美でなく、心のこもった立派な追悼式でした。喪主の張晁禎先生、奥様の李貞慧女士、ご遺族の皆様に心よりお悔み申し上げます。

 

参列させて頂きながら、故張夢蛟会長との38年前からのお付き合いが走馬灯のごとく思い出されました。

仕事との取り組み方、営業日誌の書き方、取引先との付き合い方、営業のフォローの仕方、作戦と戦略と戦術、教えて頂いた事は数えきれません。

港式清蒸石斑魚のおいしい食べ方、酒家での“北国の春”、そして高雄のサウナで偶然お会いしたこと、40周年の時に連戦さんとご一緒させて頂いた事、思い出はつきません。小生にとっては大事な恩師でした。

一緒に仕事もさせて頂きました。良き勉強と経験になっております。

禎祥食品のみなさんとご一緒にやらせて頂きました、福建省での鰻工場の立ち上げ、蘇州工場への参加、感謝致しております。

30年前、1984年、小生が創業する際に張会長に相談し、弊社の名前である誠晃貿易株式会社の命名も頂きました。また、現在の場所に会社を移転した際には、“勤儉誠信創新”の額を台湾よりお送り頂きました。大事にいたしております。

本日、追悼式の回顧録ビデオの中で同じ額を事務所に掲げられ、仕事をされておられる張夢蛟会長のお姿がありました。

 

今日、誠晃貿易株式会社が仕事をさせて頂いているのも、色々なご縁の積み重ねの賜物と思っております。張会長に厚く御礼を申し上げます。

頂いております“勤儉誠信創新”を社員一同、これからも大事にしてお客様のお役に立てるよう、努力し成長して参ります。

 

張夢蛟会長ありがとうございました。

心よりご冥福をお祈りいたしますとともに、禎祥食品グループのさらなる発展をお祈りいたします。安らかにお休み下さい。

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2015年2月6日

高雄・福華大飯店にて

正月 (日本の四季)

昨年の師走に「明日は円高」と書きましたが、今年も円安です。

1月5日は1ドル120.40円です。弊社もこの円安によって損失が発生しています。

「明日は円高」と期待しますが、円高ではありません。今日、決断し、今日、為替の予約をしてしまいます。たとえ「明日は円高」であったとしても、それが自分の欲との付き合い方です。自分でコントロールし、今日、自分で決定しなければなりません。明日は自分の期待であり、予測です。明日の予約では、自分のコントロールが出来ません。今日、やってください。今、やってください。そうすれば、次に進めます。

 

さて、正月です。

謹賀新年。   新しい夜明けです。

気持ちを一新し、今年も精進し、良き年としていきたいと思います。

 

昨年は多くの災害がありました。正月の文藝春秋に立花隆さんのコラムがありました。その中に“「台風は会いたくない親戚がくるようなものだ。」と気楽にかまえるマインドも必要だろう。災害にしなやかに対応できるという意味での新の強靭化社会を築かねばならない”という旨の記述がありました。

日本人の心の有様は、日本の四季から生まれるものと思います。

 

この春夏秋冬の変化の多い美しく厳しい四季の中で日本人の精神が育まれ、鍛えられ文化が作られていきます。災害を起こす厳しい台風とも上手に付き合い、予測、予防し対策をたて、大きな災害を回避していくことができます。実際に昨年の9月29日の大型台風18号の被害は死者5名、行方不明者2名、重軽傷者72名、住宅の被害は2,875戸で、また10月3日の台風19号では死者3名、重軽傷者94名、住宅の被害は358戸でした。大きな被害ではありましたが、世界の人々が驚くほど上手に付き合っていると思います。

 

この変化の多い厳しい日本の気候と付き合っている我々です。

多少の困難は乗り切れるはずです。

今年も様々なことが起こり、楽しい事、うれしい事、悲しい事も、いろいろな問題の発生もあると思います。円安もそのひとつです。新聞にて今年は更なる円安が進んでいく旨の記事がありました。円安に負けることなく、対策をたて対応をして、さらなる前進をして参ります。そのためには、“明日は円高”ではありません。“今日が円高”と決断し、実行していかなければなりません。これも日本の四季との付き合い方と同じです。

 

今年もお取引先と一緒に努力し、頑張ってまいりたいと思います。

お取引先の皆様のご指導とご鞭撻を賜ります様お願い致します。

宜しくお願い申し上げます。

 

2015年1月5日

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師走 (明日は円高)

もう1年が過ぎようとしています。あと1か月です。

この前まで暑くてクーラ―をつけ、猛暑を乗り切ったと思っておりましたが、今日はストーブが必要です。

 

11月30日に伊賀上野シティハーフマラソンを走ってきました。

毎年、走っているのですが、年々タイムは落ちてきています。

練習をしなければなりません。

しかし、快晴のなか、青い空と山麓の黄色と赤、すすきの波、秋を満喫させて頂きました。家族にも、自分にも、会社の社員にも、この社会にも感謝しております。

 

走りながら、この1年のことを思い返してみました。

2014年は円安に振り回された1年でした。

2013年1月は、1ドル 85円でした。

2014年1月は、1ドル105円です。

それが、2014年11月には1ドル119円まで下落しました。

この円安の対応に追われた1年でしたが、為替予約をするたびに思うのは、輸入業者にとって常に“明日は円高”と期待している事です。弊社で取り扱っている商品はほとんどがドル建て決済です。円ドルのレートによって原価が変わります。出来るだけ契約時に先物予約をしてしまいたいのですが、農水産物のため、船積みが確定するまでは、予約が出来ません。今年のように常に円安で進んでいると為替差損が発生します。損をするのは、避けたいですから円高を期待します。だから、“明日は円高”です。なかなか予約が出来ません。その予約をその都度、速やかに行ってしまいます。

自社のセルフコントロールです。自分で決済日を決め、許容範囲内での予約を行います。為替予約で損失を出したくないという自己欲との付き合い方です。

 

これは仕事の進め方とも関係があります。自社の利益のみを考えては、仕事は成立しません。まずお取引様とよく相談し、取り組み方、希望を踏まえたうえで、自社の利益を加味します。損失はいけませんが、多大な利益もよくないと思います。

自己欲の制御です。

 

また、お金との付き合い方とも通じるものがあります。無理をせず自分に合った寸法の服を着て、食事をし、生活をして、経営を行っていく。もちろん、無理をしてでもやらなければならない時もあります。人生の中では成功し飛躍するチャンスが何度か訪れます。その時に対応ができるように日々精進し、力を蓄えていきます。

 

自己欲には際限がありません。自分の欲をきちんとコントロールして生活していけば、お金も家来となり、十分な役割を果たし、充実した一生となっていくものと思います。上手に自己欲と付き合っていかなければなりません。

 

輸入業者は常に“明日は円高”ですが、

同様に輸出業者は常に“明日は円安”です。

 

お取引様と良く相談し、良い仕事を行い、健康に留意しながら、自己管理を行い、2015年も伊賀上野シティマラソンに参加したいと思っております。

これからも精進し、努力してまいります。宜しくお願い致します。

 

[写真は過去に行ったネパールのアンナプルナです。]

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ミャンマー訪問

10月27日より10月31日までバンコク経由でミャンマーへ行ってきました。

往路は関空からバンコク経由で12時間かかりました。復路はバンコク経由のTG672便で関空行きでした。バンコクからは約5時間のフライトです。

 

10月27日18:50にヤンゴンに到着し、VISAを取得しホテルに21:00頃チェックインの予定でしたが、VISA取得が難航し、2時間ほど空港で待っておりました。

現地にて招待状を発行頂いた会社のミャンマー国内の会社としての登録証明書が必要だったとのことです。無事にVISAも取得でき、22:00頃にホテルにチェックインしました。

 

翌日は8:00に出発し、ヤンゴンより北西60kmほどのHmawabi地域の農園を訪ねました。途中にウェンナチャウンという村の農園も視察しましたが、これから農園となるであろうと思われる農園です。農園では、agarwoodの林を見ました。沈香の木でした。

ミャンマーの道はまだ舗装されておらず悪路でしたが、TOYOTA車のハリアーで問題なく運転できました。

 

ミャンマーの子供たちは他の国でもあまり見かけない様な明るい顔をしていて、パンツも履かずに裸足で遊び回っていました。道路はまだまだ発展途上ですが、学校と寺院は立派でした。

現地の方に聞きますと、民間の寄付によって学校と寺院は建てられているようです。国民の所得は、年間750ドルですが、豊かな国民性が垣間見れました。

 

片道 3時間ほどでしたが、道でいさかいもなく、自動車もクラクションをほとんど鳴らさない整然とした街でした。インド製のタタ自動車もありましたが、ほとんどが日本の中古車で、9割がトヨタ車でした。中古車を購入するお金はどこからきているのでしょうか。また日本からの輸出入の決済はどうやっているのか気になりました。

食事はカレーが中心で美味しくいただきました。

中華料理店では、紹興酒が置いておらず、1本200ドルの老酒と1本500ドルの五粮液がありました。あまりの高さに驚き、1本3ドルのビルマビールを注文しましたが、おいしいビールでした。以前、兌換券のあった1980年代の中国のようにまだ地元の人の価格と外国人用の価格があるのではと思います。

 

これから農水産物の開発輸入を企画し開発していく予定ですが、まだまだ地道な努力が必要だと思われます。

 

ミャンマーの田舎とヤンゴンの街を移動しながら、約40年前、1975年12月に初めて韓国にマッシュルームの買付に訪ねたのを思い出しました。当時は、朴正煕大統領の時代で、セマウル運動がなされている状況で、食事も白米ではなく、ヒエ(稗)とアワ(粟)のごはんだったと思います。

街は電力がないため暗く、また1日に1~2回はいさかいを見ました。高速バスターミナルからバスで移動し、産地と工場を訪問しました。韓国は、その後ヒュンダイ・ポニー車が生産され、街を自動車が走るようになりました。1988年9月に開催されたソウルオリンピックまで漢江の奇跡と云われる高度成長が続きます。街には高速道路が出来、停電もなくなり高層ビルが建設され、国民は豊かになり、今は自信を持って笑顔で挨拶をしています。

 

次に、冷凍野菜とマッシュルームの商談で1978年頃に台湾を訪問しました。

経済発展途上でしたが、明るく活気にあふれた国でした。

そののち、タイと中国で農水産物の取引を開始致しました。

 

経済が発展し国民が豊かなになれば、街でいさかいも見なくなり、自動車のクラクションも聞かなくなります。心に余裕が出来、相手に対する思いやりも生まれ、住みやすい魅力のある生活も出来るようになります。

 

10月29日の朝、ヤンゴンのホテル Sule- Shangri-La Hotelから散歩に出ました。

以前の名称は、トレーダースホテル ヤンゴンだったそうです。

 

ヤンゴン中央駅を見学し、Upper Pansodan通りを北へ、動物園の東側を通りKandawgyi湖の周囲を走りました。道は清潔できれいに掃除されており、快適な散歩となりました。朝早くから、掃除をする人達がいて、出勤する人達もきちんとしており、国民性を見ることができました。

 

食品原料の供給基地としてミャンマーはまだまだこれからだと思いますが、何度か訪問しながら産地作りを行いつつ、ミャンマーの発展の一助にでもなり得るよう、やっていきたいと思っております。

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[Kandawgyi湖に浮かぶミャンマーの伝説の鳥カラウェイを模した船上レストランです。]

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[ヤンゴン市内の市場の朝の様子です。]

 

価値観の相違        (口約束と契約)

我々は海外にて商品開発を行い、外国貨物を日本に輸入し、国内貨物としてお客様に販売させて頂いております。

日本はほとんどの人たちが同一の価値観をもち、意志の疎通が比較的しやすい国だと思います。

 

売り手と買い手は全く相反する立場です。売り手は高く売りたいと考えますし、買い手は安く買いたいと考えます。

互いに相談、調整を行い、価格が決定されます。また同時に他の条件も調整を行い決定されていきます。その決定は約束され守られなければならない事として共通認識されます。

 

その際の約束を弊社では、出来るだけ契約書の形でとりまとめます。

これは、取決め時点では、両者にて共通の認識であったものが、状況が変わり、担当者が変わると共通の認識に相違が発生し、約束が守れなくなる事があるからです。人はみな自分の都合の良いように理解し、解釈し、相手に要求します。こういった事がないように約束をした時点で十分に打ち合わせを行い、契約書、確認書を取り交わします。

 

最近では日々の仕事でもこういった確認書が頂けるようなりましたが、以前は“私が言っているのだから、間違いありません。確認書などは作成しません。”という口約束が普通でした。

日本では、それで通用したのです。皆が約束したら守るもの、諸条件についても、ほぼ同一の価値観を持ちえたからです。

しかしながら、弊社で開発し新商品を作り、輸入してお取引させて頂くのは海外の外国貨物です。海外の取引先は、言語も異なりますし、持っている価値観にも違いがあります。必ず英文の契約書を取り交わします。

日本語で、曖昧なところも英文であれば、明確に表現できるからです。

1995年の契約に≪栗の取引≫がありました。

韓国の原料栗(日本種)を中国の山東省で一次加工(栗を剝皮し、ダイヤモンドカットにする手作業加工)し、日本へ輸入する加工貿易でした。栗の手むき作業は1人8時間で5.0~8.0 kgしか剥き栗に出来ません。

原料栗200トンの加工を1か月間で完了する計画でした。1,000名で約5,000 kg/日、2日で10,000 kgです。生鮮の栗ですから、すぐに加工しなければなりません。女性作業者500名で2,500kg x 40日間です。1,000名 x 20日間で完了です。

必要な作業員が最低500名~1,000名である事や加工の手順等を打ち合わせし、契約しました。この契約書は英語と中国語で作成しました。細部に認識不備があれば、困るためです。

8月にスタートし、9月に加工が始まり、10月には終了です。

ところが、工場の立地している地域は農村部であり、栗の加工時期が農繁期と重なります。その旨の打ち合わせも事前に行っており、人員の確保も契約しておりましたが、稲刈りが忙しくなると、作業員は工場へ出て来ませんでした。原料栗は生きていますから、成長します。そのままに出来ません。

工場の経営者とその村の村長さんと解決策を相談しました。

翌日、整列した軍隊が工場へやってきました。小生の指導で栗を剥いてくれたのです。軍人は皆、若くまじめに作業を行ってくれました。そして、作業が終わると、整列をして帰隊しました。そのような日が数日間続き、女性作業者も稲刈りより戻ってきて、無事に約束通り、栗剥き作業が完了しました。

この様なことは日本では考えられませんでした。

[現地の栗の産地です。]

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[皮剥き加工の栗です。]

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[甘露煮の栗の選別です。]

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[栗甘露煮を原料とした弊社の栗の商品です。]

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海外での取引において最も重要な問題は、価値観の相違です。習慣の違いです。意識の違いです。文化の違いでした。

その違いを互いにすりあわせ、調整し、合意します。そして、契約を行います。

そこには、両者に少なくとも当事者である自分自身に“その仕事をやり遂げる”という強い意志が必要です。

自分の意志を持たずに仕事を仕上げることは出来ません。

打合せを行い、契約するのは、意志に基づいた仕事を行うためです。調整し、契約するのが目的ではありません。

もちろんその仕事が正しく、その国の社会のためになるものでなければなりません。強い意志は正しく誇りをもてる仕事から生まれるものです。

そのしっかりした意志の実行のためには両者、両国の持つ価値観の相違、文化の違いを認識し、互いに尊重し、説得しやり遂げていかなければなりません。

 

弊社はこれからも様々な国で様々な人たちと協力し、仕事を行っていくことになります。コミュニケーションを良くし、価値観の相違、文化の違いを乗り越えて協力し共同で仕事を行っていきたいと思います。

末永い付き合いのできる友人を作るため、豊かな人生をつくるためにも、より良い仕事を行って参ります。