ミャンマー訪問

10月27日より10月31日までバンコク経由でミャンマーへ行ってきました。

往路は関空からバンコク経由で12時間かかりました。復路はバンコク経由のTG672便で関空行きでした。バンコクからは約5時間のフライトです。

 

10月27日18:50にヤンゴンに到着し、VISAを取得しホテルに21:00頃チェックインの予定でしたが、VISA取得が難航し、2時間ほど空港で待っておりました。

現地にて招待状を発行頂いた会社のミャンマー国内の会社としての登録証明書が必要だったとのことです。無事にVISAも取得でき、22:00頃にホテルにチェックインしました。

 

翌日は8:00に出発し、ヤンゴンより北西60kmほどのHmawabi地域の農園を訪ねました。途中にウェンナチャウンという村の農園も視察しましたが、これから農園となるであろうと思われる農園です。農園では、agarwoodの林を見ました。沈香の木でした。

ミャンマーの道はまだ舗装されておらず悪路でしたが、TOYOTA車のハリアーで問題なく運転できました。

 

ミャンマーの子供たちは他の国でもあまり見かけない様な明るい顔をしていて、パンツも履かずに裸足で遊び回っていました。道路はまだまだ発展途上ですが、学校と寺院は立派でした。

現地の方に聞きますと、民間の寄付によって学校と寺院は建てられているようです。国民の所得は、年間750ドルですが、豊かな国民性が垣間見れました。

 

片道 3時間ほどでしたが、道でいさかいもなく、自動車もクラクションをほとんど鳴らさない整然とした街でした。インド製のタタ自動車もありましたが、ほとんどが日本の中古車で、9割がトヨタ車でした。中古車を購入するお金はどこからきているのでしょうか。また日本からの輸出入の決済はどうやっているのか気になりました。

食事はカレーが中心で美味しくいただきました。

中華料理店では、紹興酒が置いておらず、1本200ドルの老酒と1本500ドルの五粮液がありました。あまりの高さに驚き、1本3ドルのビルマビールを注文しましたが、おいしいビールでした。以前、兌換券のあった1980年代の中国のようにまだ地元の人の価格と外国人用の価格があるのではと思います。

 

これから農水産物の開発輸入を企画し開発していく予定ですが、まだまだ地道な努力が必要だと思われます。

 

ミャンマーの田舎とヤンゴンの街を移動しながら、約40年前、1975年12月に初めて韓国にマッシュルームの買付に訪ねたのを思い出しました。当時は、朴正煕大統領の時代で、セマウル運動がなされている状況で、食事も白米ではなく、ヒエ(稗)とアワ(粟)のごはんだったと思います。

街は電力がないため暗く、また1日に1~2回はいさかいを見ました。高速バスターミナルからバスで移動し、産地と工場を訪問しました。韓国は、その後ヒュンダイ・ポニー車が生産され、街を自動車が走るようになりました。1988年9月に開催されたソウルオリンピックまで漢江の奇跡と云われる高度成長が続きます。街には高速道路が出来、停電もなくなり高層ビルが建設され、国民は豊かになり、今は自信を持って笑顔で挨拶をしています。

 

次に、冷凍野菜とマッシュルームの商談で1978年頃に台湾を訪問しました。

経済発展途上でしたが、明るく活気にあふれた国でした。

そののち、タイと中国で農水産物の取引を開始致しました。

 

経済が発展し国民が豊かなになれば、街でいさかいも見なくなり、自動車のクラクションも聞かなくなります。心に余裕が出来、相手に対する思いやりも生まれ、住みやすい魅力のある生活も出来るようになります。

 

10月29日の朝、ヤンゴンのホテル Sule- Shangri-La Hotelから散歩に出ました。

以前の名称は、トレーダースホテル ヤンゴンだったそうです。

 

ヤンゴン中央駅を見学し、Upper Pansodan通りを北へ、動物園の東側を通りKandawgyi湖の周囲を走りました。道は清潔できれいに掃除されており、快適な散歩となりました。朝早くから、掃除をする人達がいて、出勤する人達もきちんとしており、国民性を見ることができました。

 

食品原料の供給基地としてミャンマーはまだまだこれからだと思いますが、何度か訪問しながら産地作りを行いつつ、ミャンマーの発展の一助にでもなり得るよう、やっていきたいと思っております。

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[Kandawgyi湖に浮かぶミャンマーの伝説の鳥カラウェイを模した船上レストランです。]

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[ヤンゴン市内の市場の朝の様子です。]